年代 |
CHAMPIONの歴史 |
REVERSE WEAVEの歴史 |
1919年 |
ニュー ヨーク州ロチェスターにて「ニッカーポッカー・ニッティング・カンパニー」をサイモン・フェインブルームが創業 |
|
1920年 |
サイモンの没後、その息子のエイブ&ウィリアム・フェインブルーム兄弟が「チャンピオン・ニッティング・ミルズ社」として社業を受け継ぐ。当初彼らはTシャツやソックス、スウェットシャツの原型であるウールの下着を、屋外労働者の防寒用として販売していた。これがやがて米軍アカデミーの訓練用ウェアに採用される。 |
|
1924年 |
大学としては最初の顧客、ミシガン大学とのビジネスが始まる。彼らは、当時高価だったアスレチックウェアを高品質かつ手頃な価格で販売しているチャンピオン社に目をつけ、スウェットシャツを採用した。これが評判になり、以後はコーチからコーチへ口コミで全米の大学に広がっていく。
|
|
1928年 |
|
後にREVERSE WEAVEを発案するサム・フリードランド入社 |
1930年 |
Tシャツやスウェットシャツにナンバーや大学名をプリントするレタリング加工を開発。 |
|
1934年 |
|
営業マンであるサム・フリードランドが発案したREVERSE
WEAVEを発売 |
1938年 |
|
REVERSE WEAVEの特許出願。 |
1939年 |
海軍からの依頼により、訓練用に表と裏の異なる「リバーシブルTシャツ」を開発。記念すべき第1号は、海軍のチームカラー、ネイビーとゴールドだった。 |
|
1942年 |
カレッジスポーツのアスリート達にに向けてDuracraftを立ち上げ。 |
|
1952年 |
|
REVERSE WEAVE2度目の製法特許を取得。この時にスウェットパンツも同時に特許を取得された。アスレッチク・カタログにREVERSE
WEAVE初登場。この頃のボディーは100%COOTTONのモノが採用されている。 |
1960年 |
|
製造会社の登録番号(RN番号)の掲示が義務付けられたことに伴い、50年代に使用された特許番号が記されたタタキタグより、RN番号が記されたタタキタグへ移行する。 |
1961年 |
|
REVERSE WEAVEにフードを付けたREVERSE WEAVEパーカー発売。 |
1967年 |
「チャンピオン・ニットウェア・カンパニー」から「チャンピオン・プロダクツ社」に社名変更 |
社名変更と共に、通称プロダクツタグへと移行 |
1969年 |
ブランドロゴに通称目玉Cと呼ばれるCマークが採用される。 |
単色タグが登場したと推測される。 |
1970年ごろ |
|
プロダクツタグから単色タグに完全移行。と共に、100%COTTONから90%COTTON&10%ACRYLICの混紡率ボディーに移行。 |
1970年代中ごろ |
|
単色タグからアンダーバーが消える。 |
1977年ごろ |
|
赤の単色タグが採用されて、しばらくしてからアメリカンフットボールの防具の上から着るために、アームホールの大きなREVERSE WEAVE特有の形が採用される。 |
1980年ごろ |
|
通称トリコロールタグが採用される。82%COTTON
12%ACRYL 6%RAYONという混紡率のボディーが登場する。 |
1984年 |
スウェットやTシャツなどの製品にCマークが付くようになる。 |
|
1989年 |
サラリーコーポレーションがチャンピオンプロダクツ社を傘下に収め、ノース・カロライナ州のウィンストン・セーラムに拠点を移す。 |
REVERSE WEAVEに半袖スウェット登場。
|
1990年ごろ |
|
通称刺繍タグと呼ばれるタグが採用される。 |
1992年 |
バルセロナオリンピックにてマイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、チャールズ・バークレーなどのNBAスター選手を中心として結成されたドリームチームの公式ユニフォーム・サプライヤーとなる。 |
|
1994年 |
リレハンメルオリンピックにおいて、アメリカ代表チームの公式ユニフォーム・サプライヤーとなる。 |
|
1996年 |
アトランタオリンピックにおいて、アメリカ代表チームの公式ユニフォーム・サプライヤーとなる。 |
|
1997年 |
|
REVERSE WEAVEにTシャツが登場。 |